未来は終わっているのか?希望はまだあるのか?

世界万国博覧会とか、ディズニーのトゥモローランドだとか
そういう場所で新しく輝かしい未来を提示するのは難しくなってきている。

最近ブームになっている「人工知能(AI)」はどうやって展示すればいいのだろう?
こういった技術は、展示される前にすぐ社会実装されるので、展示する必要がないとも感じる。

Paypal創業者、ピーターティール氏によると、
人工知能(AI)といった今日のシリコンバレーのイノベーションは、どちらかというと「カニバリゼーション」で、
これまでの製品を消滅させ、国民大衆に職場を創造しないという。
要するに、米国西海岸はワクワクしない技術を生み出しているということだ。

スマホを例にとっても、カメラ、デジタルカメラ、電話、専用携帯電話機、テレビ、ラジオ、専用ナビゲーション、ゲーム機,などを駆逐している。
────────────────────ここからナドレック氏のブログから文章を引用&加筆───────────────

話はかわって、ディズニーが運営する「30年以上も未来の1986年の世界」という設定だったカリフォルニアのトゥモローランドは、大改修を経て今や第三世代に突入している。
1971年開業のフロリダのトゥモローランドも第二世代になっている。

パリのディズニーランドや東京ディズニーシーでは「未来の国」トゥモローランドは建設されず、「レトロフューチャー(かつて描かれた未来)」を前面に押し出したディスカバリーランドやポートディスカバリーに取って代わられている。

しかしまあ子供たちの知的好奇心を刺激し続けるのは並大抵のことではないだろう。

カリフォルニアのディズニーランドが開業した1955年当時なら、
自動車技術の一端をうかがえるゴーカートは、トゥモローランドのアトラクションとして申し分なかったかもしれない。
しかし、はたして現代の来園客がゴーカートから「未来」を感じるだろうか。

1972年、国際的なシンクタンク、ローマ・クラブは報告書『成長の限界』を発表し、人類文明が遠からず成長の限界に達するだろうと警告した。
この報告書は、”はたして科学技術の進歩が明るい未来をもたらすのか”、
”目指すべき未来は科学技術の進歩とは別のところにあるのではないか”、そんな疑念を人々に植え付けた。

映画トゥモローランド(2015)の序盤では、戦乱・騒乱の映像が映し出され、海面の上昇等の地球環境の変化が説明され、
思想や文化の統制を描いた『華氏451度』や監視社会を描いた『1984年』を例にディストピアとなった未来が紹介される。
科学技術の進歩は、これらの災難を抑えるどころか拡大・進行させていることが暗に語られる。

他の多くの映画も科学技術への警鐘を鳴らすものになっている。
『ATOM』や『ウォーリー』はゴミだらけになった地球を描き、「これは人類への警鐘」という惹句で公開された『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は大ヒットした。
『ターミネーター』は、人類が生み出したコンピューター技術によって、人類文明が駆逐されるという脚本になっている。

ユートピア主義は今日どこにも見られるものはほとんどない。
スティーブンソン氏とピーターティール氏は、サイエンスフィクション(SF作品)が瀕死であることを指摘している。
最近の新しい作品はどれも良い意味で刺激的なものではなく、ディストピアであるという。

最近の実写SF映画だと、『アバター』や『アイアンマン』、『エクスマキナ』、『トランセンデンス』そして『プロメテウス』とかがあったはずだ。
アイアンマンはヒト型の兵器であるためディストピアと言える。
エクスマキナは、(外から見て)意識を持っているとしか考えられないロボットが、開発者を刺し殺して研究施設から脱出するというバットエンドとなっている。
アバターは、惑星移植による他文明との対立というテーマで、さほどディストピアではない。

トランセンデンスは、最終的に主人公であるウィルが世界を良くしようとしたが、反テクノロジー集団に襲われてその先に行けず終わってしまった。
映画エイリアンシリーズを監督するリドリー・スコット氏が手掛けたプロメテウスは、AIがエイリアン(生物兵器)を生み出して人類の惑星移植計画をめちゃくちゃにさせるという脚本だった。

『エリジウム』という現実的なSF作品もある。
これは貧富の格差をテーマにしたものであった。

だが実際には、上で出した報告書のように、資源は枯渇しなかった。
ローマ・クラブは石油資源が20年で枯渇すると警告したが、40年以上を経ても石油は枯渇していない。

食糧も不足していない。『成長の限界』発表当時、世界の人口は40億に満たなかった。
2015年現在、人口は72億を上回るが、世界にはすべての人に行き渡るだけの食糧がある。
(しかし世界の9人に1人は十分な食糧を得ておらず、日本の家庭では全世界の食糧援助量に匹敵する量の食品を捨てている)

まだ成長の限界にぶち当たっていない理由はなんだろうか。
一時的に問題を解決したのは「技術の進歩」であった。
農業の生産技術は格段に進歩したので、単位あたり収量が大幅に増加し、人口増加を優にまかなうことができた。

石油が不足し、価格が上昇すると、省エネルギー型の技術革新が続出し、エネルギー効率は大幅に上昇した。
一方、石油の掘削技術も進歩し、オイルシェールなども採算に乗るようになってきた。

映画トゥモローランド(2015)のクライマックスは、そういった「未来を憂慮して警鐘を鳴らす作品」に警鐘を鳴らすことだった。
まことに考えさせられる展開だ。

だが今後、あるいは現在、技術の進歩が止まっているような論調がある

ティール氏は自身のエッセイ「The End of the Future」の中で指摘する。
「地上でも空中でも、私たちは半世紀前と同じ速度で移動している」
つまり飛行機や自動車の速度は、ここ数十年で上がっていないというのだ。
技術的には上げられるが、それ以上速度を上げると安全性に問題がでるという側面もある。

更に彼は指摘する。
「1950年から1980年にかけて穀物の収穫量は126%向上したが、その後数十年で収穫量は47%しか増加していない」
「大手製薬会社から発表される、大ヒットの医薬品は少なくなっている」
2018年の全世界の特許出願件数は約333万件。日米は前年と比べると出願件数が減少した。特にアメリカは、2009年以降では、初の減少となった。

これは何を意味するのだろうか?
農業における生産技術は停滞したので、”これ以上の人口増加を賄えることができない”ということだ。
加えて、”治療法のない病気に対する対処法を新しく発明することができなくなっている”、ということを意味する。

ピーターティール氏や、「大停滞」を執筆したタイラーコーエン氏らが呈する技術革新の停滞論は、未来学者レイカーツワイル氏が提唱する「収穫加速の法則」を否定するような口ぶりである。
────────────────────ここから東洋経済の記事から文章を引用&加筆───────────────

同じように、未来の終わりをあおっている環境活動家がいる。
グレタ・トゥーンベリ氏だ。
実際、彼女の予測が的中したかのように、2020年に入ってオーストラリアの森林火災が拡大し続けている。(最近になって大雨が降り鎮火したようだ)
さらには、中東・アフリカ地域でバッタが大量発生し、蝗害による食糧危機を示唆するような現象が多発している。

それに伴い、非常に未来を否定するような活動が始まっている
「気候危機が続くなら子どもは産まない」と宣言する女性たちが、1990年代後半から2000年生まれの「Z世代」を中心に現れているのだ。

カナダの女子大学生が始めたキャンペーン「#NoFutureNoChildren(未来がなければ子どもは持たない)」は、およそ1カ月の間に5000人以上が賛同した。
これは図らずも人口減少社会を正当化するだけでなく、「産まないほうが地球環境にとって倫理的だ」といった、いわゆる従来の価値基準を反転させるものである。

「出産は倫理に背き、多産は悪」というかつての「反出生主義」が再燃している。
キッシンジャー報告書で検索

ここまでの文章を読んでどう感じるだろうか。
一時は人類の諸問題を解決するように思えた「科学技術」の進歩が、ここにきて止まっている。
それと同時に、地球環境の大変動が始まっている。

もう輝かしい未来はやってこないのだろうか?
先進国の出生率は軒並み低下し、高齢化が進み、夢を見るような若者自体が減っていくようだ。
若者自体が減っていくということは、技術進歩の停滞をさらに悪化させるということだ。

個人的に考える。
「技術の進歩が停滞しているのは、人間の能力低下に起因しているのではないか?」
それだから人間を超える人工知能を開発しようとするブーム(運動)が活発になっているのではないか?

人間を超える人工超知能を最短で開発するには、汎用人工知能(AGI)を先に開発する必要があるとオックスフォードの哲学者は提示する。
AGIとは、人間一人分の知能を再現した機械のことだが、哲学者は、一旦それを開発してしまえば、そのAGIは自己改良を始めて人工超知能に到達すると主張する。

だがこれに疑問を感じるようになってきた。
能力低下を引き起こすような人間の脳を参考にして、AGIを開発しても、それを超えるような知能は生み出せないのではないか?

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